苦労なんてさせようとする輩はろくでもない


こんにちは、naffstyleです

「若い時の苦労は買ってでもしろ」

良く僕が新卒として就職した時もよく聞いた言葉です

今回の記事はこの「若い時に苦労をさせようとする輩はろくでもない」ということです

過去の経験からそういう結論に至ったのですがこの理由を書いていきます



とある有名な方の言葉

前職も営業という職業柄色々な場所に顔を出す機会があり色々な方とお会いさせて頂きました

スポーツ選手や地方では大きい会社の社長であったり

やはりこういう方って「苦労」されているんだろうなと思っていたんです

だって過去の逆境を跳ね返すほどですから、まさに「若い時の苦労を買ってでも」していた方なんだろうなと

ですがそんな僕にとある有名な方がこうおっしゃったんです

この方は主に政界でお仕事をされている方でした

「よく苦労してるね~なんて言われるけど私はまったく苦労してるとは思ってません。ですが努力してます。この仕事が楽しいので苦労だなんて微塵も思えないんです

僕は雷を打たれたような気持ちになりました

言葉遊び的にも思われるかもしれませんが、こういう方って自分では「苦労」とおっしゃっててもそのことを楽しんでいたり、そんな目先のことなんてどうでもよくて未来に向かって「努力」しておられる方がほとんどでした

苦労と努力って似てるようで全然違う

くろう【苦労】

( 名 ) スル
物事がうまくいくように、精神的・肉体的に励むこと。逆境にあって、つらいめにあいながら努力すること。また、あれこれと苦しい思いをすること。労苦。 「親に-をかける」 「 -しただけあって人情の機微に通じている」
どりょく【努力】

( 名 ) スル

心をこめて事にあたること。骨を折って事の実行につとめること。つとめはげむこと。 「目標に向かって-する」 「 -のたまもの」

このように似たような意味合いで使われる言葉でも実際には全然違います

苦労は「逆境にあいながらも努力すること(=目標を持ち頑張ること)」とあります

逆境であったりつらい状況なのかでどちらの言葉が適しているかが変わってくるようです

先程の言葉を思い出してみる

つまり先程の「苦労だと思ったことがない」という言葉は「仕事をするにあたって身が引き締まるように辛い場面もあったがそんなこと取るに足らぬ小事」だからこそ出てきた言葉に思います

思えば今が逆境かは本人にしか分かりません

だから一般の人から「苦労してるね」と声をかけられても「そうは思えず、僕は努力している」と言い切れたのでしょう

じゃあ僕たちはどうなのか?

この話は政界で仕事するような特殊な人に限られた話なのでしょうか?

僕はそうは思いません

どんな人であっても苦労は苦労だし努力は努力で人それぞれなわけだから、それを第三者がつべこべいうことはおかしいです

「苦労」なのか「努力」なのかも分からないんだから先輩だろうが上司だろうが苦労することについて触れることがおかしいです

「若い時の苦労は買ってでもしろ」なんていう輩はろくでもない

ここまで話せば冒頭書いた「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉が決してその人のためになってないことが分かるかと思います

これって”管理者”が”逆境と思われる辛い環境”でも”こき使う”ために言われているのではないでしょうか

僕は個人を成長させるために「逆境的な環境」は必要ないと思っています

本当に必要なのは目標と、達成までのプロセスを持って前向きに行動を起こせる環境なのではないでしょうか

そうすると第三者的には「逆境」に映る状況でも、その若者は逆境とすら思わず努力して目標を達成できるよう頑張っていくのではないかと思います

そんな環境へと作り変えることが面倒だから、この「若い時の苦労は買ってでもしろ」なんて言葉がまかり通るんです

まとめ:若い時には努力を買ってでもするべき

というわけで苦労なんてする必要ありません

苦労と思っている時点で自分にとってためになっていなかったり、目標が薄れていたり、達成までのプロセスが無茶苦茶になっているのではないでしょうか?

管理者といわれる上の立場の人は若い人にとって「苦労」と思われる環境を「努力」と思わせる環境づくりに徹するべきです

苦労させているから愛想を尽かせて離れていってるのではないですか?

若い人達、新卒の方に言いたいことは「自分が努力できる環境は恵まれている」ということです

このように同じ辛い環境でも本人の受け取り方で「努力」か「苦労」かが変わってしまうわけだから一言「やりがいがある」といっても人によってどう思うかは様々です

目標を持って前向きに積極的にいられる環境であるならば、まずはその環境に感謝するべきなのではと私は思います