これがあるから子育てって辞められない

こんにちは、naffstyleです
「子育てが楽しいって言ってるやつなんて頭おかしいんじゃねぇの?」

そんなことを言われたことがあります

ですが僕は逆に「こいつ子育ての楽しさが分からないなんて頭おかしいんじゃねぇの?」と心の中で強く思ったわけです

はて、でも言われてみれば自分は子育てのどこに楽しさを見出しているんだろうか?

今日その謎が下のTweetで解けました

こ、これだ!!!この気持ちだあああああああ!!!!




子供との時間は自分の時間を巻き戻す

子供が生まれたときは「赤ちゃんだからぎゃあぎゃあ泣くのも仕方ないね」とどこか第三者的というか客観的に見ちゃってたんですが、成長していくにしたがって

そういえば俺もかけっこ好きだったなぁ

とか

親父がお風呂場でやってくれた遊びやってみっか


と自分の幼少期と重ねてしまうんです

それで子供ってやっぱ笑ってくれるんですよね

しかも大爆笑

子供が怒るときも泣くときも笑うときも、なんでこの子は今この感情を抱いているのだろうかということを考えると自ずと子供の目線になっちゃうんですよね

子供の成長を見守ると同時に自分と重ねちゃう

その結果子供の成長を見守っていると、子供の目線になっちゃって自然と過去の自分に重ねちゃうんです

この前幼稚園の保育公開日に出席しましたがわが子の姿を見るともうなんか泣けてきました

もう味わえないと思っていた、幼稚園のときに経験した「幼稚園の木の香り」とか「どうでもいい工作に熱中しちゃうあの感覚」にどっぷりと浸かることができます

子育てが楽しいと思う理由

「子育てをしなさい」とか「楽しいものなんだよ」と押し付けるつもりはありません

が、僕が最近子育てを楽しい!と思えるのはこういう理由からなのかもしれません

どうしても自分と重ねてしまって、自分と重ねている子供って愛くるしいです
何かで苦戦していたら心の底から「頑張れ!」って叫んじゃいますし今までできなかったことができるようになったら「よくできたね!」と褒めちゃいます

「全てが楽しかった」と表現されるあの時代への唯一のタイムマシーン

というわけで僕はあの「楽しいと思えた時代へいける唯一のタイムマシーン」とすら思っています

僕は社会人になってからはTVゲームをしてないのですが、子供の口から『ピカチュー』なんて名前が聞けた瞬間、あのポケモンレッドを必死に頑張っていた思い出がフラッシュバックしました
「一緒にやろう」なんて言われたら即、GEOに買いに行きそうです

君は「全てが大きい」と思えたあの感覚を覚えているか

子供って見てると本当に無垢です

なんでそんな表現しかできないのかなぁ?と思うこともしばしばです

そんな無垢だからこそ、時折出てくる「楽しい!」とか「美味しい!」といったポジティブな言葉って凄く価値があります

幼稚園で秋を拾う催しがあり他の児童はどんぐりや松ぼっくりを拾っている中わが子が拾ってきたのは落ち葉1枚だけでした

家族は「なんか控えめなチョイスだねぇ」なんていってましたがその落ち葉は紅葉のグラデーションが物凄い綺麗だったんです

自分が「これ綺麗だね」と呟くと「そうでしょ?赤とね、黄色がね、一緒になってるの!」と返してくれます

こんな素敵な体験を共有できるって最高じゃありませんか

大人にとってはどんぐりや松ぼっくりを拾うことが正解になっちゃってるけど、わが子にとっては色んなことが不思議で色んなことが新鮮だから拾ったのが落ち葉1枚だけだったんじゃないかと思います

まとめ

子育てをする理由なんて恐らく腐るほどあります

ですが上で取り上げたTweetは僕が日常の育児生活で感じていたものを全て言葉にしてくれた感があります

凄くすっきりしました

大きくなったら自我が芽生えてなかなか共有なんてできないかもしれませんが、それはそれでなかなか共有しようとしなかった過去の自分と照らし合わせてみたいと思います